解説:
大戦参入の時局に応じ、アメリカ市民にヨーロッパのごく平凡な中流家庭の戦いぶりを伝えようと企画された、ワイラーのMGM作品。同年の「心の旅路」の主演でトップ・スターとなるガーソンの気品と、やはり同作でも脚本を手がける、J・ヒルトン以下英国を代表するライターが醸す市井の生活描写の味は買えるが、そののどかさを戦意昂揚にもってくのにはムリがある、と言うより勿体ない気がした。最初からもっと不安が塗り込められていれば後の展開もいたしかたなしと思えたろうに、映画は、派手な帽子に贅沢した夫人と、新車を衝動買いしたご亭主の微笑ましい、互いの無駄遣いの告白で始まる。彼らは翌日、大学から帰省した長男ヴィンを迎えるが、彼は若者らしい社会主義に目覚めて階級批判をぶつ。その矛先は当地随一の名門ペルドン家に向かい、その孫娘キャロル(ライト)がミニヴァー家を訪問した折に、彼女相手に大激論。普段つきあいのない彼らを訪ねたわけは、例年祖母が主催する花の品評会でバラの部門は彼女の独擅場であるのに、今年は駅長のバラード氏(H・トラヴァース)が自作を出品しようとしているからそれを諫めて欲しい由。その花の名が“ミニヴァー夫人”だから、夫人の説得なら聞くであろうと言うのだ。このバラをめぐる挿話は、誰からも好かれる夫人の人柄を端的に表し好ましいのだが、以下、キャロルと恋仲になったヴィンの空軍入隊、夫の自前ボートでの民間防衛、夫人が逃亡ドイツ兵を“御用”とするくだりは急転直下にすぎる。ただ、ヴィンを飛行場に送って機銃掃射に遭い、キャロルが死ぬあたりは、ワイラー演出のうまさが光った。バラもよいが、もう少しこの緊迫感で押せば、最後のお説教の嘘臭さも緩んだはず。夫にはガーソンともども銃後スターだったピジョン。長男役のネイとガーソンがこの共演で結婚した(4年後に離婚)という後日談あり。
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